いま掲げたタイトルは、思想史といわれるもので、人はそれをまた改めてとらえ直してもいます。
それを学び考えることはどんなことでしょうか。以下、「思想史を学ぶ」という題目の文章をここでさらに述べます。
思想史を学ぶ
1 思想の有限と無限
これまでの時の流れのなかで、地球上の様々な地域で、多くの人々が色々な考えや思いを抱きながら生きてきた。大変な量・質であるその人間の考えや思いを、私たちは何らかの領域としてとらえ、様々な焦点をあて、対象として考えることができる。たとえば、古代インド思想、中世仏教思想、福沢諭吉の思想などというとき、私たちは思想を、時・所・人などと関連づけながら、ある対象としてとらえている。もちろん顕著で有名なものばかりが思想ではない。江戸時代の一地方で田を打っていた一農民がもっていた考え、あるいは一人の幸福だったり不幸だったりしたある女性の思いーーこうした伝える言語や記録も無くその中身や味わいはもうわからない、沈黙の向こうにしかないらしいもの。それも、生きられ感じ考えられたものである限り、やはり立派な思想である。
沈黙の向こうにあるものも思想たりうる。ということは、思想は、私たちがさし当たり顕著なものとしてもっている言葉・記録その他の思想表現のための媒体や形式をしばしば越えており、それらに収束しないことがあるということだ。現に私たち自身、思うところを何か言わんとするとき、文字どおり「言葉にならない思い」が自分のうちそとに在り、澱んだり広がったりしていることを感じる。「差し巧たりとらえられないところにも、思われたものがありうること」は、思想をとらえたり考えたりする際に忘れてはならない重要なことだととはいえ、論者によっては、表現媒体(言語) の限界と思想の限界とは重なると考える人もいるだろう。その考えにも一理はある。というのは、「思想を言語に安易に先立たせる」場合ーーたとえば、「自分は言葉にしなくても何か思っているものがあるのだ」などと「表現を越えた何か」を自他に認めさせようというなら、それは、横柄であるか甘えであるか、皆でコミュニケーションの様式に従って生きていることに対して失礼なことになる。また、当の表現の内部でその人ができる/なすべき務めに対して、これをないがしろにすることにもなろう。あるいは逆に、口話を思恕に安易に先立たせる」場合1llたとえば、ある限界を越えたものがあるのに、それを既成の在り来たりの表現の中で喋々するならば、それは、その彼方のいまは言語にできない重んずべきものを、いい加減に扱い、気安く手元の物に還元してしまったことになる。したがって私たちは、言語に収束しない何ものかの恋意的な支配を防ぐためにも、その何ものかの尊重のためにも、言語や表現の限界を重視するのである。それは同時に、言語自身の恋意的な支配を防ぐためでも、その尊重のためでもある。
上の一一つの議論のうち後者(「一言語〉思想」への批判)が示唆するのは、表現の彼方には何もない、すべてつまり、その尽きぬ分だけ、思想は、しばしば、現にあるは言葉で尽きる、という訳ではないということだ。
言語を越え、その越えるものを何ほどか直観している。少なくとも、そのような限界を越えるものを模索し、それと関わろうとしている。こうした働きが思想には含まれているのである。だからこそ、その限界の彼方も、またいつか言語にもたらされ、あらたな言葉が生み出されることがあるc もちろん、だからといって、私たちがいつもその彼方を感知すべきであるとは言えない。上の前者の議論(「思想〉言語」への批判)が教えるように、つねに限界の彼方に関心を注いだり、そればかり主張するならば、私たちは自分の現にある生をないがしろにし、それを踏み外すことにもなるであろう。私たちは、手元のもの、日々の務め、使用されている言葉や約束を大事にしなければならない。が、それでも、それとともに、その彼方のものに向き合い、それに心を傾ける態度はどうしても必要である。かりにも、さし当たり成り立っているものだけが現実であり、既定のものの適用と適応のみが人生であると考えない限りは、そうなのである。
思想の領域は広く限界を越えたものに連続する面があると私は述べてきた。が、それでも、思想の主たる働き、主たる場面というものはあると考えられる。まず人間の心身の働きを中心に、思想のありかを検討してみる。
まず、心と身についてある程度の区別ができる。私自身は、のちにもふれるように、心を身のうちに分散な〈みいし浸透しているものと考えるがゆえに、西洋近現代思想によくあるような心身の峻別論には与しない。しかし、たとえ両者が浸透しあっているにせよ、空間的な運動の基体として物に接する身に対して、心を感覚・知覚・思考等の坐となって内外の世界に接する器官として区別することはできる。したがって、思想も、一方で身にも広くつながっていくにしても、基本的にはより心を主とする場でとらえることができる。
では、その心の活動は思想と一っかというと、そうではない。たとえば、私たちが美しい音楽を聴いて感動する、あるいはうまく歌を唄うとしよう。そのときに私たちの内に(つまり、身体にまで浸透した私たちの心のうちに)働いているものは、心身の直接的な動きであり感覚であり感情である。それら心身の直接の流れや力は、たしかに、思想につながりうるものである。それらは、思想を含み、思想を生み、思想を具現しうるものである。しかしそれら自体が思想だとは言えない。思想は、そうした直接的な存在から触発され、それをふりかえり、また、そこに自分を実現しようとするところにある。より直接的な生、より実質的なものがあるとき、それに対して考えること、それに対する考え、それが思想なのである。
いま「考え」と述べた。思想とは、考えること、あるいは考えられる内容である。考えは、心身によって生きられ現実となりうるものだが、しかし直接の生・現実そのものではない。考えは、直接性からいわば浮き上っており、それに対して振り返ること(反省)、またそれを介して何かを立て求めること(志向)等の働きをふくんでいる。和語の「かんがえる」は「彼対(かむか)ふ」から来たものだという語源説がある(本居宣長『古事記伝』、橘守部『雅言考』等)。「かんがえる」には、物事を前にして、留意する・学ぶ・比べる・思いめぐらす・推し測る・判断する・占う・何かをねらうといった意味が含まれている。いずれにせよ、そこには、ものごとにある距離をもちながら、向き合い、それを対象化し、それについて聞いたずねる働きがある。思考は、表象を立て(対象化) つつ、聞いたずね、吟味し、さらには何かを求め結実させようとする。心理的にいえば、そのとき私たちは(自己)意識をもち、また何かを自覚し、そのことによってさらには何か新しい現実を立て求めようとしている。そのような思考や自覚の働きにこそ、思想の主たる領域があるのである。
思想のこの主たる働きは、私の考えでは、すでに少し述べたように、ある既定のものの適用や分析にとどまるだけのものではなく、直観をふくみ、種々の従来の限界を乗り越えていく働きを含むものである。このような思考をもっ、心のあり方は、おそらく現代の私たちが想像する以上の裾野をもっているのではないかと考えられる。たとえば、現代人はたいてい心は脳に坐をもっと考えている。しかし、近代以前の、また東洋の思想では、私たちの胸や手や吐にも、それぞれ心があると考えている。またそれらの思想では、脳や神経など解剖学的に確認できる組織以外に、たとえば経絡など気や生命の流れのうちに一種の心をとらえる例がよくある。それどころか、この人体を越えた広がりのうちに、世界や山川草木のうちに、心があり思想が存在している、そこに心や思想が抱かれ埋め込まれているという考えも、東西の思想でけっして珍しくはない。むしろ広く見られる考え方である。
私はそれらの、心や思想を身・物・世界等に拡張してとらえる考え方を、決して荒唐無稽だとは思わない。そう考えてきた歴史の方が人間にとっては長いのである。だとすれば、そう考えてきたのは、前近代人が愚かだからではなく、むしろそれが心身の感覚や想像力の動きにとってナチユラルだったからだろう。それならば、翻って、現代人は、どうして心や思想の在処や機能をこれほど狭く限定したのかと問うことも必要となる。
心と思考をめぐる前近代人のモデルと現代人のモデルとそのどちらが正しいかは決着がつかないかもしれない。が、たとえ決着つかなくても、その食い違いそのものが、心と思考の不思議で面白い性質も物語ってくれる。というのは、私たちは、たいていある二疋の心/思考の内側においては、それ以外ありえないような当たり前さを生きている。しかし、その外に出てみればまた別の思考があり、またそれ自身の世界がある。ちょうど、健康なときには、病気のときの思考やイメージは想像もつかないといったふうに。けれども、その想像のつかないものはあるものである。老年の心境は、若いときにはわからない。しかし、それは無いのではない。
旅したとき、まったく知らなかった遠い異郷にも多くの人が住み、生活し、何かを考えていることを発見して驚きに打たれることがある。それはまったく知らなかったものだが、しかし確かにあることである。そしてなお驚くべきことに、その知らなかったものを心の思考は知ることができるのだ。
2 思想の起点と展開ーー思想史
思想は、一体いつ人間に現れたのだろうか。思想の発生問題を、先に述べたような、思想のもつ連続的な裾野にもとづいて考えるならば、人間の始まるところ人の心身があり、人の心身があるところ思想がある。だから人間の時間と思想の時間は同じだといわねばならない。可能的にはそうも言えるだろう。心のギリシア語であるプシケlは、生命をも意味し、東洋の概念でいうなら「気」にも当たるかと思われる。すると心は、その起源が遠くあらゆる生命にまでつながっているかもしれない。そして心に棲む思考リ忠恕も、ともにそこまで遡るかもしれない。しかし、今は、もっと明瞭なものとして思考や意識をとらえてみよう。そうすると、人間における思想発生の時間は、もう少しあとに来るはずだ。
思想の「始まり」を思うことは、ちょうど私たちが個人として、「私のこの意識はいつ生まれたのだろう」「自分はいつ自分に目覚めたのだろう」と思うことに似ている。幼い時まどろみの中から自分というものにふと気づいたとき、あるいは思春期や青年期に家族や友からの離隔を感じて自身をふりかえったとき、それらは思想が懐胎し芽生えた瞬間かもしれない。心理学者のピアジェは、もっと明確な言い方で、人間の認識(思考)の発達には論理的メルクマールがいくつかあるのだ、という。特定のものの内で差異に気づいたり少し分析できたりすることから始まり、ものとものとの聞の変換(可換性)に気づくこと、そしてまたそれらを超える構造に気づくこと、この三つが基本だと彼は言っている(『精神発達と科学史』)。このピアジエの考え方は、直接的にかあるいは結果的にか、ヘーゲルの弁証法の即自(正)|対自(反)|即且対自(合)とかなり同型で、かっそれを論理的に洗練したものになっている。
注意したいのは、私たちが現にしている思考は、おそらくはピアジエが指摘するような論理操作を中心に伴いながらも、ただ論理だけでなく、私たちがまさに生きている心身、人や物との関係、環境などの内容を場に形成しつつ認識を起こしているということである。人間のとらえる数学的構造でさえ、たいへん豊かなものなのだが、思想には、そこになお私たちの「生」を形づくる諸内容・諸条件が関与していく。物、人、生、性、死、社会、環境、世界:::人間にとっての存在の基本フレームともいうべきものが材料としてそこに含まれているc そしてそれらがさらに種々の様相をもち、また様々に作られとらえられていくとき、思想は、ニュlトラルな種々の判断ばかりでなく、とうてい一言で一言尽えないような様々な可能的世界を構築していく。先に、病いの時の思考、若いときと老いたときの思考、別の地域での思考などにふれたが、もちろんそれらに限らない。
思想のその可能的世界は、ある思想のうちに差し当たってすむ者の想像を絶するような||ニュアンスをもっていうなら、味わいや光景、高み低み、美醜、善悪、絶望や希望、透明や濁り等を含んでどこまでも展開しているはずである。
しかも思想とは、ニュアンスのただなかにいるだけのことではない。そのニュアンスを味わうとともに、なおニュアンスの違いに気づいていく||そこに先に言った意識的自覚としての思想が育ちはじめる。ピアジエのいう、分析(内)・可換(間)・構造(超) への道行きによってか、あるいはへlゲルのいう弁証法をたどってか、ともかく、ニュアンスや内容を伴いながら、その差異に驚き、気づいていく。そこに認識がおこなわれはじめ、そして思想がまさに思想として、より立体的・動的なものとなって起ち上がってくるのである。
人類の意識の歴史において、思想が起ち上がりはじめたのは、おそらく紀元前の数世紀頃だろうとドイツの哲学者ヤスパlスは述べ、その時代を彼は「枢軸時代」と名づけている『挺史の起源と日標』)。その頃、ギリシアの哲学者、インドの仏陀や六師哲学、中国の孔子や諸子百家などが生まれている。その背景には、おそらく古代の文明や共同体の動揺があり、またおそらく知の記述における文字の使用ということが関わっていたと考つまり、従来の共同体の中に生きられ、口承的に歌われ物語られていた思想が、動揺とともにいわえられる。ばその母胎を出て、思考の歩みを発展させ、かつ文字によって明断な記述の跡を残しはじめたのだ。それらの思想家・哲学者たちの言葉は、そこで自覚された精神の大きなモニユメントだと言えよう。その後の、イエス、マホメットなどを入れれば、紀元後数世紀までの聞に、現代まで続くような大思想・普遍宗教は、現れ出ている。
枢軸時代の諸思想に先立って存在していたのは、神話・物語・歌・祭杷儀礼などであった。それらは、後代のたとえば「文学」などとはちがって、生に密着して特定の共同体を直接担うもので、共同のうちに個がいわば溶け込んだ、一種のシヤマン的な精神の働きによって生産されたものだったと思われる。そこでは思想は、おそらくそれ自体としてではなく、いわば生のうちに埋め込まれて存在していた。枢軸時代の思想は、このような即自的なものの中から直ちに立ち上がり、思想自体の先行者がなかったゆえに、創唱思想だったと言える。
これに対して、それ以後の諸思想はたいてい先行者をもち、その影響下に起こっている。そして古代の創始者たちの思想は、伝わり、再構築され、再解釈され、また新たな思考をも加えながら、地域や時をひろがり、地球上に量質ともに豊かな「思想史」を構築していった。それらは、文字テクストを生み、その再テクスト化を生み、サプテクストを生み、多くの思想文献を蓄積しつづけた。その意味でも、枢軸思想は思想の「起源」の位置付けをされたのである。
とはいえ、枢軸時代の創唱思想に学ぶ対象としての先立つ思想がなかったわけではないし、後代になって思想の創唱がなかったわけでもない。まず前者についていえば、枢軸時代の思想は、すでにあった神話や祭把などのジャンルからも当然学んだだろう。だから、枢軸思想とは潜在的にあったものの言語化・一般的言説化にほかならないとも言える。実際、枢軸思想家たちは自分自身に先立つ神や超越者をもっていた。また、必ずしも表立った形では記録されていないが、彼らの先達となった思想家の影もみられる。そして彼らは先達のみならず、周辺に論争の相手をたいてい持っていた。だから、これら枢軸思想でさえ、まったくの創造というよりは、すでに動いていたものが、流れこみながら、ある決定的なレベルに達したものであり、そうした流れの代表者・典型なのだといえる。そして、さらには、彼ら以後の思想家たちが、自分たちの問題を際立たせるため
にそのような創唱者を祭り上げ、そのことでその創唱性は余計に固まった面もあるはずだ。だとすれば、その創唱性は以後の社会性というべきものの在り方・性質によってある程度関係づけられている。そしてまた、思想史や組織を枢軸思想のようには持たなかった、記録されない創唱者が当時別になかったとはいえない。
次に後代のことを述べれば、たしかに、枢軸思想以後、巨大な思想的パースペクテイプがすでに成り立った場合、思想が、既成のものを墨守したり、もっぱら適用・応用として展開する場合が多いことは事実である。
このことは、創唱思想が権威あるテクストとしてカノン(規範・聖典)化されることで、ますます顕著な現象となる。思想は、カノンたることによって思想世界の先立つ根本規格としての地歩を固め、内容を増殖させ、ゆたかな建築をつくり上げていく。こうして、近世以前の思想は、多かれ少なかれ、経典を古代のものとして投影し、その解釈・釈義として思想を語る様式をもっている。孔子ですら「述べて作らず」と述べている。その後の儒学者がこの言葉を繰り返し語ったのは言うまでもない。キリスト教でも仏教でも、人々は自分は創唱者の理解者であり創唱者を越えてあらたに「作」らない者であることをもって任じていた。興味ぶかいことに、創唱者自身は、みな孤独の影を漂わせている。しかし、彼らに帰せられた思想はいずれもカノンとなり、圧倒的な広がりと厚みを展開している。こうして枢軸思想のパlスベクティブの支配力は、きわめて広汎で長いものであった。
いろいろな意味で思想の後代の「創唱」は各所で明らかにあった。いま述べた経典的展開の中にあっても、経典の再編成がおこなわれ、再解釈がおこなわれ続けた。そこにしばしば解体や再構築がおこなわれたのだ。なかでも儒教における新儒教、キリスト教における宗教改革思想などは、新しいパ1スペクテイブの提起として目覚ましいものであった。仏教の経典編纂と解釈がおこなわれ続ける姿は、偉観というただし、それでも、べきか、「仏」(さとり)の概念をめぐっていかに思考が無数に展開するかを私たちに示している。またさらに、経典的枠組みをはみ出して、新しい思想が提示される場合も数多くあった。そしてまた、多くの思想は、異なる地域や階級に伝わり、新しい土壌と出会うとき、興味ぶかい創造現象を起こしている。さらに、文芸・美術などの諸ジャンルに対する浸透、これらの内容の吸収・交渉、また思想どうしのシンクレテイズム(習合・融
合)など、興味ぶかい「創造」が至るところに見られる。
このように私たちは思想創造の様々な姿を見ることができる。が、それでも、たしかに枢軸思想のパlスベクティプは、長く持ち越される巨大なものであった。それは現代もなお持続している。しかし、近代(日本の時代区分でいえば近世)になると、それを根本的に相対化する大きなパラダイムの変化が始まった。思想の「古典」的構造、「述べて作らず」的様式をくずす思想が現れたのである。そのもっとも顕著なあり様が、西洋の近代思想に見られる。が、そのころ、中国・日本など他の地域においても、朱子学の変容をはじめとして、新しい学術・思想などの創造のうねりが動いていた。かつて枢軸思想が「文字」媒体の一般化を背景に生まれたように、この近代思想の地平は、おそらく「印刷」媒体の一般化とも関係があったのだろう。また「古」に根拠をおく時間感覚を否定するのに、資本主義的生産があずかつて力があったことは明らかである。
十九世紀後半以降の経済の発展と交通・情報の発達は、従来の地理的条件を越えた思想伝播を可能にし、そのことによって、地域相互の思想交渉が加速され、まさにひとつながりの「現代世界」を場とする思想領野がひらけはじめた。思想のこれまでの「古典」性はさらになお解体されつつある。が、それは、新しい私たちの地球的なテクストという大きな織物が作られる再編過程なのかもしれない。
3思想史を学ぶ
歴史とともに、思想を成り立たせるいくつかの条件は変わったし、思想の語られ方も変わった。それでも、私たちが生きているように、思想を抱いた人々も生きていたのである。それゆえ古人の思想から学ぶものがなくなることは決してないだろう。もしも私たちの生と彼らの生がもうまったく違ったものになったのなら、その場合もやはり彼らから学ぶものがあるだろう。なぜなら、思想の重要な役目は、私たちにないものについて考えることでもあるからだ。
思想史を学ぶとはどんなことだろうか。簡単に言えば、それは、思想の広がりゃ流れの何ほどかを、あるいはその広がりゃ流れのうちにある何かの思想を、聞いたずね・捉え・様々に理解することである。思想史へのこの間いや理解の仕事には、おおづかみに言って三つの局面があると思う。一つは「思想」の局面、もう一つは「(歴)史」の局面。そして、この二つをつなぐ「言託巴の局面である。これらの面において、思想史に関心をもっ者の仕事がある。
まず「思想」の局面。すでに述べたように、思想は、人間の思考が、論理をまじえ、人間の生のあり方をまじえながら作った(あるいは発見した)世界である。私たちは、その世界をたどることで、これまでの人々が思想史を学ぶいかに思考したかを知ることができる。が、そのためには、私たち自身がまさによく考える必要がある。論理的思考を発展させることはもちろん、思想の材料や課題となっている、存在や私たちの生の基本的な姿ーー物、人、自己、他者、共同体、人の誕生から死、健康と病、男・女、社会:::いろいろなことを知り、考える必要がある。よく、人生経験をふんで初めてわかることがある、と言う。たしかに、私たちは自分自身の思考の、そして私たち自身の心身や世界の、経験を通じてのみ物事をわかる。ちょうど、数学の問題でも、自分自身で解かないとわからないように、また喜ばしいことや悲しいことに出会って初めてその味わいを知るように||C思想史を学ぶとき、私たちは、歴史上の他者の思考の世界をたどりながら、自分自身の思考を発展させる。
そのとき私たちは、思恕史上の他者を通じて自分自身を知り、過去を通じて現在を知る。そこには、およそ私たちが思考するときに持つ対象や他者との問の〈対話的/弁証法的関係〉ともいうべきものが集中した形で生まれている。もちろん同時に私たちは、思想史の対象とは独立の、現にある私自身の側の様々な経験ももっている。したがって私たちは、対象・他者から影響を受けるだけでなく、それに向けて自分自身の側が作った像を投げかけていくことを必ずといっていいほどしてしまう。対象理解におけるこうした影響や干渉は、対象を歪めることもしばしばである。それは理解の正しさにとっては、大きな問題であるし、強まって固定すれば何らかの死にすら至る。しかし、よき歪みから結果的に創造がおこなわれることも少なくない。
とはいえ、物事の客観性ーーそ事柄への関与の正しさ||は、やはり重要だ。理解者には対象の存在に対する〈誠実さ〉が必要である。それは、自分自身をふりかえる〈反省〉の必要と表裏一体になっている。本当に思考を呼び覚まされるとき、私たちの思考は、特定の諸条件のうちにありながらも、それを越えた究極的な同型性・普遍性ともいうべきものを構造的にあるいは質的に探求しようとしている。誠実さも反省も、結局は、その究極的なものに対する態度なのである。
次に「言語」の問題がある。思想の多くのものは、これまでは主として言語によって表現され文字としてまとめられて残っている。思想は言語という媒体・容れ物のうちに、染み込ませ盛られているのである。そこで、その言語をいかに理解するかが、思想理解のためにきわめて重要な前提になる。上に述べた、対象的他者の思ほとんどそれをいつも言語が想に対する理解の歪みという問題も、たんに人格関係の問題であるだけでなく、取り巻いており、言語の上で起こることでもある。
およそ言葉というものは様々な奥行きや複雑性をもったものだし、また他者の言葉は、当然、自分自身の言葉とは何ほどか距離をもち、その聞に言語とその場の差異がある。しかも思想史の言語は、私たちの母語でなかったり、現代語とはちがった古語であったり、特別な様式や文体・用語を含んだものであることが多い。そのため、言語聞の距離・差異はよけい大きな問題となる。そこでは理解が歪みを起こすどころか途絶することさえ少なくないc言語の距離・差異をどのように乗り越え・変換し、その内容を正しく十分に理解するか。この問題に対処するために、語の意味・シンタクス、文脈上の意味・語脈、用語・文体等の扱い方について、多くの方法が考えられ蓄積され、それらの習熟のための道や書物が表わされた。古代・中世的なカノン的なテクストゃ、成熟度・抽象度が高く内的な独自の奥行きや脈絡のあるテクストすなわち「作品」に対しては、解釈や批評の方法はとりわけ必要度を増す。またテクストの内的体系性よりも外的な事実との関係が深い「史料」は、次に述べる歴
史的事実との関係で解読の必要度が高まる。そしてテクスト批判・史料批判もむろん重要である。以上のような手続きや練習は私たちにとってかなり面倒なことである。しかしそれは、喜びをもたらす労苦でもあり、またそれに付き合うこと自体が、対象に集中しこれによりよく・より正しく関与する手だてともなり、さらにはその言語をみずから生きることにもつながる。
そして「(歴)史」の問題。ここで考えたいのは、思想と言語をとりまく社会性・歴史性(「事」)の問題である。ある思想やそのテクストは、何らかの出来事の文脈(コンテクスト)のなかに存在している。「言」の場合と同様、その「事」は私たちが現にもつ「事」とはやはり距離・差異をもっている。古今の時間的な差異もあれば、場所の差異もある。私たちと違いをもっているばかりでなく、対象的「事」それ自身が、複雑性をもった多様・多層的な場としてある。発話者・記述者や聴者・読者の人生があり、属する階級や集団があり、背景としてのまたその都度の出会いとしての事件があり、またそこに訪れる同時代や次代の出来事がある。そうした複雑な「事」の文脈の中で思想が語られ、また記述が行なわれているのである。
「史」ないし「事」の問題は、言語テクストの周囲にあるだけではない。そもそも、思想それ自体が(「言」のみならず)「事」自身によっても担われている。思想は、言葉ではなく儀礼や祭記、方法や作法のうちに込められていることが少なくない。また人は、自分の思想を、書き残すのではなく行為や生き方に示すこともあり、また物との関係や制度の中にそれが込められることもある。この意味でも、思想は、文字テクストをはみだして広がっている。そこで、言語史料による事の探求のみならず、実際の事の時空に入ったり、「物」自身をよく見て調べる実地・実物の調査や実験、あるいは社会史・民俗学・歴史考古学などの探求がおこなわれる。
そこから浮かび上がる知見が文字テクストに跳ね返ってくることも少なくない。
以上わずかながら見てきたように、思想史は、きわめてふかい複雑な森であり、たくさんの支流をもっおおきな河である。私たちは、その一隅を訪れ、そこを調べたりその世界と話をする。が、一生そうしつづけたとしでも、私たちはひとりで思想史の森のすべてにふみこみ、何から何まで知ったりわかったりできるわけではない。そうだとすると、一体、何のためにその森に入り、何をして働き、何を見つけるのか、そこでどんな眺望をもとうというのかーーそのような問題がやはり私たちに問い直されてくる。しかも、顧みれば、そのときいわば旅に出ているわけである。「なぜ私は、いまここにいる、ばかりではなく、そこに行くのか」という根本的な問いが私たちのもとに起こってくる。
旅に出るのは、その苦労をもふくめて、結局自分自身のため、自分の純粋の喜びのためだ||このような私たちは、直接の労働や現実の生の場面を離れて、えは肯定されてよいと思う。それがほんとうに純粋な喜びなのであれば、そこに含まれたものは必ず他の人々に、また現在と未来に、何かつながってくるはずである。が、それ以上にはどうかといえば、私自身には、不
確実ながら、なおこんな感じがしている。思想史を学ぶことは、私にとっては、結局、人間の心が、いかに大きいか、小さいか、どれほど陰影やおどろくべき境地をもっているか、どれほど劇の中を生きてきたのか、こうしたことをいくらかでも経験する仕事である。そのことは、言いかえれば、今ここにいない過去のたましいの声を聴き・学び・励まされ、ときには彼らを慰めることである。彼らは、結局、私たちが、自分の過去と現在の中にある問題をどこまでも見つめ、そして未来の平和や喜びを求めるその仕方を教えてくれている。その意味で、思想史の学びは、批判ともう少し多い理解、そして希望のためにある、と私には思われる。